先生と生徒の関係性の限界をどう超える?ゲームチェンジャーが生まれる環境を生み出す「出る杭」な先生たち

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【インタビュー連載】十文字高校 × DeruQui ×OPT共催 「J-Lab.×DeruQuiコラボゼミ

学校法人十文字学園 十文字高校 自己発信コース(以下、十文字高校)と一般社団法人DeruQui(以下、DeruQui)、そしてOPTの3者が協働して2022年度に開催された全6回のオンラインプログラム「J-Lab. × DeruQuiコラボゼミ」

⬆︎2022年 J-Lab.×DeruQuiコラボゼミ 全6回テーマ

⬆︎2022年 J-Lab.×DeruQuiコラボゼミ 実施方法

プログラムを通してどのような気づきがあったのか。全4回に渡って、十文字高校の先生や生徒、親子、DeruQuiの皆さんへのインタビューをお届けします。

自己発信コースの生徒を入学当初から見てきた先生たち。J-Lab.×DeruQuiコラボゼミを通してどのように生徒たちの変化を感じたのでしょうか。今回は、自己発信コース主任 飯島 奈海先生(以下、飯島先生)と、自己発信コース 現高校2年生 担任 三浦 亮先生(以下、三浦先生)に、一番近くで生徒たちを見守りながら、感じた変化や担任としての工夫や苦悩、学びについてお話を伺いました。

“学校の先生がそこにいない”環境の大切さ

(岩崎)まず、自己発信コースを選んだ生徒たちの最初の印象を教えてください。

(飯島先生)みんなとてもやる気に満ちていて、「ここで、これまでにない経験をするんだ!」というようなポジティブなイメージを持って入ってきていました。従来型の学習に行き詰まりや息苦しさを感じ、環境の変化を求めるだけでなく「自分も変わりたい」という気持ちを感じました。何しろみんなとても前向きで、最初からいい雰囲気だったし、みんながすごく意識して、「ここは主体的に行動するクラスなんだ!」というふうに積極的に自分たちでも動いていた気がしますね。三浦先生はどうでしたか。

(三浦先生)やっぱりすごく前向きな姿勢・変わろうとする姿勢は他のクラスよりもとても感じています。自己発信コースの生徒たちからは「とりあえず何かやってみます」というエネルギーを感じますし、入学時から持っていたそのエネルギーが、高校2年生になってまた発揮されているイメージがありますね。

(岩崎)DeruQuiを取り入れるにあたり、J-Lab.×DeruQuiコラボゼミの位置づけはどのようなものだったのかお話いただけますか。

(飯島先生)初年度は、入学してすぐのオリエンテーションでOPTの内山さんと下山田さん(共に十文字高校卒業生)に来てもらって、「自分をどんどん出していいんだよ」といった趣旨の話をしてもらいました。最初のふたりのオリエンテーションと、第1回ゼミのインパクトが自己発信コースの方向性を決めたと思います。何を言っても認めてもらえることに対しての喜びや気づきを生徒に与えてもらい、「これでいいんだ、このコースは」という、うちの学校ではあまりなかった雰囲気づくりを、入学まもないタイミングでしていただけたのが、とてもありがたかったです。

(三浦先生)2月に飯島先生とふたりでDeruQuiが普段開催している起想ゼミに参加して、大人でも2時間やってヘトヘトになったんです。その経験から「その場ですごい考えるということ」と、「ものを考えて同時に喋ったら、間違いなく力になるだろう」と思いました。

もう一つは、「学校の先生がそこにいない」というのがすごく大事だと思いました。生徒は無意識的に教員の言葉を待っていて、自分で自分を認めてあげるという行為をやめていることが多いのではないかと思っています。その結果、自信が持てないのではないかということを感じていたので、先生としてやれることに限界を感じていたんです。

そんな中、外部の人との交流ができる環境と、「考える」という操作がすごくたくさんある場だったので、「これはいいぞ!」と思い、生徒にやってほしいなと思いましたね。

(岩崎)実際にDeruQuiを取り入れてみて、生徒が外の人と関わることによる変化は、感じられましたか?

(三浦先生)そうですね。変化したというよりは、波に乗った感じです。前のめりな生徒が多く揃っていたこともあり、オリエンテーションでおふたりに話していただいて「あ、そうそう、そういうことやりたい!」みたいな共感が認識されたと思います。その認識のもと、「私も何かやってやる!」「前向きにチャレンジしてやる!!」と波に乗せてもらったと思います。当初は、社会人との邂逅を目的にしていましたが、DeruQuiを振り返ってみると「心理的安全性」という本当に大切にしなければならない価値観がクラスに生まれました。受け入れられるか不安な『自己』を他人に『発信』するという最初のハードルを越える原動力となり、方向性を決めてもらったというのも、まさにその通りだと思います。

自己発信コースのスタイルではディスカッションを大事にしているため、「傾聴」や「承認」「質問」をグランドルールとして提示していました。

一番最初のDeruQuiでは、外部の大人とどのように生徒が話をして、どのように話が受け取られるのかを気にしながら見ており、「そうやって心の中開いていくんだなぁ」とか「そうやって自分のエネルギーを形にしていくんだなぁ」という前に進むための流れが見えたんですね。その結果、「一番最初に大事しなきゃいけないのは承認だよね」という考えが、わたしたちの中でも生まれています。承認あってこそ生徒の自己が現れやすいということを目の前で見て、DeruQuiと下山田さんと内山さんあってこその今の自己発信コースかなと思っています。

(下山田)「そうやって心の扉を開くんだなぁ」の「そうやって」の部分がとても気になりました。学校に感じている「限界」は三浦先生だけではなくて、他の先生も感じているのではないかと思うんです。 「そうやってやるんだ」の「そうやって」の部分はめちゃくちゃ大切な気づきなんじゃないかなって思って。そこの部分の詳細を教えていただけますか。

(三浦先生先生)「教員じゃないこと」と「『話させる』というスタイル」「言葉に詰まっても『待つ』」という要素が、授業の中ではあまりないんですよね。一斉授業で期日までに教科書を何ページまで進めなきゃいけないというスタイルを取っている以上は、DeruQuiのように「待ち」に徹せられる時間はすごく少なくなります。DeruQuiは「一人あたり何分」って時間を先に与えられて、その中で自分が喋らないと進まないという設計が結果的に「言葉にならない言葉」を生んでいて、「そうやって聞くんだ!」って思いました。

(下山田)面白い !

(飯島先生)「心を開く」というところについて、やっぱり教員ってどうしても教員の立場を離れられない。生徒からしたらやっぱり「評価者」として見えてしまうんですよね。私たちが何を言っても、たとえ褒めたとしても、生徒には評価に聞こえてしまうところがあって。私たちではない別の大人から、評価ではなく何か言ってもらうってことが、生徒には嬉しいのかもしれないと。だから、三浦先生が言うように限界があるというか、私たちの努力で生徒の心を開くには、やっぱり外の力がいる。なので、DeruQuiのように外から来たフラットな大人の存在がありがたかったですね。

先生と生徒の関係性の限界をどう超える?

(下山田)なるほどなあ。今、飯島先生がおっしゃってくれていたように、大人からの評価ではない声がとても大切なことを、私もDeruQuiメンターとして参加していて感じていたんです。「めっちゃ面白いね」とか「そんなこと考えるんだ!」というように一緒に楽しむ大人が近くにいることがすごく大切だと感じています。また、先生方と生徒の皆さんとの関わりを見ていて、三浦先生は「一緒に面白がるコミュニケーション」ができる先生だと感じていたんですよね。自己発信コースの生徒の皆さんと関わる中で、学校に限界を感じていた状態から少しでも変化を感じたりしましたか?

(三浦先生)難しいですね。『変化した』と言い切れないような気がしています。下山田さんが言ってくださったように、私は「同じ目線で楽しみたい人」なので、まさにその通りになりたいと思っているんです。でも結局、どんなにこちらが意思を表明しても、「とはいえ先生じゃん」「なんかまずいこと言ったら減点するでしょう」というように「評価者」と「評価される側」になってしまう気がして。その感覚を破壊するのは、先生である以上無理だなとも感じていますね。

関係性が変化したか客観的に考えてみると「まだまだ先生と生徒だなぁ」と思うことはあります。けれど今年に入って、色々なことを生徒に任せてみると、自分が人として大事にしていることを生徒たちも大事にしてくれていて、「嬉しいなぁ」と思う瞬間があったりします。

それは、ある一面を切り取れば変化したようにも見えるし、先生が言っていたから生徒たちが一生懸命やっているとも見えてしまうんですよね。なので「実感として変化しましたか?」と言われると、正直わかりません。

(下山田)そうなんですね。日本の学校の構造や常識の中に先生方がいることに限界があるのではないかと思うのですが、横尾校長先生とのインタビュー(記事参照)で、 横尾先生が「生徒だけでなく三浦先生と飯島先生の変化もすごかった」とお話をされていたんです。つまり、三浦先生と飯島先生も学校教育の中の「出る杭」で、変化をしてるおふたりだからこそ、生徒たちは、おふたりが変化している様子を近くで感じながら、授業の回数を追うごとに「同じDeruQui仲間」という感覚になっていく気もしています。それは結果として関係性の変化や、 生徒の中の先生像を壊していくような面白い科学反応を起こすのではないでしょうか。

(下山田)高校3年間、このクラスの生徒が自己発信コースを卒業する時、飯島先生・三浦先生は学校教育に限界をまだ感じていると思いますか?

(飯島先生) 学校全体としてはまだ変化の途上であり、感じているかもしれません。ですが、明らかに三浦先生と自己発信コースの生徒たちの関係性は、他のクラスとは全く違うものになっているように感じます。三浦先生は一緒に考えるスタンスをとっているし、生徒もすごく安心しているのではないでしょうか。

(下山田)他のクラスとの違いは何ですか? 

(飯島先生)教員は「教える人」ではなくて、「伴走者」であり「ファシリテーター」である意識は自分もすごく変わったところなので、それは生徒にも伝わっていると思うんですよね。

(三浦先生) 一言で言うなら部活に似ています。しかもそれは顧問が活動に口を出しすぎない部活です。もともと部活とは、主体的な活動そのものですよね。自分たちで目的を持って行動する、ということが自己発信コースらしいなと常々思っています。同じ土台で生徒と対話したいという思いもずっとあったので、その感覚は私のこれまでの先生像とは一線画すかもしれません。

(飯島先生)三浦先生の教室は、教卓を端の方に寄せて、生徒が自由に椅子を動かせるようになっているんです。並んで教員と向かい合うことを少なくしようとしている印象もあるのですが、どうですか。

(三浦先生)あれはですね、自分が電子黒板に被ると嫌だなぁと思って移動場所を変えたら、生徒たちが「それがいい!!」って言ったのでそのまんまなだけです。特に細かいロジックはありません(笑)

(岩崎)生徒たちが「それがいい!」って言ったんですね。

(下山田)確かにそれが良いって言えるって、面白いですね。

「聴衆その1」から「主人公」へ
主体性が生成されたことによる変化とは

(岩崎)DeruQuiを受けている時の生徒の様子に普段の授業と違うところはありましたか?

(三浦先生)自己発信コースのスタートと同時にDeruQuiを始めたので 、比較対象はこれまで見てきた別の学年や他のクラスになりますが、やっぱり主体的で自分事化をしてゼミに取り組んでいますね。DeruQuiという取り組みの中にちゃんと生徒がいて、生徒も一緒にその場を作っていると感じます。授業だと「聴衆その1」だけど、DeruQuiだと「主人公」になっているので、ゼミ中でイキイキしてる様子は普段と全然違うと思っています。

(岩崎)飯島先生はいかがですか。

(飯島)自分がその場を作ることに寄与・関与している感じはとてもありましたね。他の授業だと、時に見ているだけになれてしまう時がある。そしてクラスではそれぞれが役割・キャラを演じている部分があるように感じるのですが、DeruQuiの中だと、自分が参加しないと進まないですし、どうしても自分の素を出さざるを得ない。オンラインだからなのか、知らない人がいっぱいだからなのか、 あるいはこの建て付けのおかげなのか、普段友達とふざけている時には出さない 、自分の本当に思っていることや考えていることを、かえって生徒は素直に喋れている感じもしました。生徒自身も「普段教室だとこんな話しないよね」と感想を言っていましたね。

(内山)今お二人の話を聞いていて、DeruQuiの回を重ねるごとに、他の授業の方に何か影響があったのではないかと思ったのですが、そのあたりはいかがですか?

(三浦先生)ふたつあります。ひとつ目は、授業の中で生徒同士の講評・批評、建設的な発言があることに衝撃を受けている先生たちが多いことです。自分たちの意見をぶつけ合ったときに素直に「私はこう思うんだけど、あなたは?」と自然とディスカッションの流れが出来上がっていることにびっくりされますね。ふたつ目はクラス運営の雰囲気です。『自己』の深い部分をDeruQuiで喋ることで生徒同士がお互いのことをよく分かっているからか、クラスの運営で異なる意見が出ても互いに理解を示し、最終的に納得解がでて終わるところは今までのクラスと全然違いますね。

(飯島先生)「他の授業での変化」としては、生徒が相手のことを具体的に褒められるし、その後にきちんと改善点も言えることは他のクラスにはない部分だなと思います。

そして発表時のフィードバックを他の授業でもDeruQui方式で欲しがるようになってしまいました。(笑)
スライドでフィードバックシートを用意して、みんなの発表を聞いたらリアルタイムでそこに打ち込む形式を欲するようになったので、できるだけみんなにフィードバックをするようになっています。それは本当にとても面白いなと思いますね。なるべく厳しいコメントを欲しがる生徒もいて、とても大きな変化だと思います。

(下山田)個人の傾聴力や言語化スキル等が上がったという捉え方もできると思うのですが、そのスキルが上がったことで、生徒同士の関係性の築き方や、大枠で捉えてクラスの雰囲気に何かいい影響はありましたか?

(三浦先生)今までであれば、相手の立場になれるような問いかけをしたり言語化をフォローしたりしていましたが、それをしなくなったと思います。ただし、足りない視点はあるので、視点をもたせるイメージで生徒と関わっています。まず話を聞いた後に、足りない視点を伝えて、自分で決めて欲しいということを伝えています。そうすると私がいない時間でも物事が進んでいることがすごくありがたいなと思います。

(飯島先生)クラスの人間関係でいうと、DeruQuiで積み重ねてきた言語化や認め合うことをする中で、どんな個性も認め合う、誰かを排除しない空気が生まれているように思います。何を考えているのかをとことん話してきた中で、お互いの中にリスペクトの気持ちがちゃんとあることを感じます。

生徒に預けて任せて、出てきたもので一緒に考えていく

(岩崎)なるほど。今までの教え方と180度変わるクラスだったと思うのですが、そこでの苦悩はどう解消されていきましたか?

(飯島先生)そうですね。「今日はこれを教える」「今日はこれをやる」ではなくて、生徒に信じて預けたり、もっと生徒と対話して「生徒の中から出てきたもの」で授業をするようにしています。そうするとやるんですよね。授業も、グループ発表などで予想以上のものを考えて出してくるので、「信じて待つ」ようにしていますし、生徒もそのように自分たちで勉強していきたいのだと感じています。

(岩崎)お話を伺いながら自己発信コースの方針はとても柔軟に来られてきた印象があります。先は見えないけど変化しながら進んでいる中で、1年間振り返って一番の発見や、1年前は考えられなかったことはありますか。

(飯島先生)探究学習の進め方は1年前は全くもって手探りでしたが、今は「生徒に預けて任せて、出てきたもので一緒に考えていく」ことが当たり前になっているような感じはあります。三浦先生はどうでしょうか。

(三浦先生)このコースの一年間を振り返って、確かめていたことが確信に変わったと思っています。実は、これまでの4年間、高校1年生の自分の受け持つ科目を、少しずつ与える学習から、生み出す学習で授業する、探究的な学習に変えていきました。しかし、テストの平均点は全然変わらないんです。結果が変わらないのであれば、絶対に生徒が楽しんでいる時間が長い探究的な学習の方がいい。その確信を一年間で得た思います。

自分にとって居心地のよい環境を「創る」ゲームチェンジャーへ

(岩崎)卒業時の姿など、生徒にこれから期待することはありますか?

(三浦先生)一人でものを決められたり、必要な時に必要な存在に頼れる人になってほしいと思っています。
学校にいるとどうしても担任の先生がいて、何でも相談しなければ、”まずい”としている生徒が多いように思います。でも何が”まずい”のでしょうか?何でも相談する必要はないはずです。今のクラスは自分たちで考えを進めていいという認識が作られてきたので、担任の先生がいなくても生徒がやれることが増えてきています。自走の機会が増えれば、自分一人で何か判断できたり、一人で上手くいかないと判断した時に他の人を頼ることができたりする力の育成に繋がると思います。卒業時にその力が身についていれば本望です。その上で「創造」に挑戦して欲しいと願っています。

(岩崎)そのために接する時に意識していることはありますか?

(三浦先生)分かりやすく、「手を離した」ことをアピールしています。「クラスの自治をしてください。」と目標を伝え、たたき台を示し、それを「カスタマイズして欲しい」と伝えていますね。また、「困ったときは遠慮なく声をかけてください。」と伝えており、特に気になった時は声かけるようにしています。そのように手を離して目を離さないようにしていますし、任されている事実を認識することが高校2年生に必要な付き合い方だと思っています。

(岩崎)飯島先生は生徒に期待する姿はありますか?

(飯島先生)外にどんどん飛び出して行って欲しいですね。自分が思うようにとにかく行動してほしいです。今のクラスは少人数で、その上言語化をし続けた結果、お互いにものすごく分かり合っているからか、ある意味居心地がちょっと良すぎるような気もしています。もうちょっとガツガツと自分の知的好奇心のままに行動するようになってほしいですし、その部分がもう少し伸びてほしいなと思っています。

(岩崎)どのようにそのガツガツさを教えていきたいですか?

(飯島先生)どうしたらいいんでしょうね…。あまりこちらが「こうしたら?ああしたら?」と言わないように、ぐっと我慢した方がいいのかなとか、でも言わないとやらないかもしれないしと思ったり、悩みどころですね。

(岩崎)1年間ずっと外から関わってきた内山さんと下山田さんにも、クラスや先生の変化について感じたことをお聞きしたいです。

(下山田)クラスの変化に関しては、横尾先生と中川さんとのインタビューでの、「他のクラスだったらうまくいっていないであろう子たちも自己発信コースの中であれば本当に生き生きしているよね」というお話の通りで、「出る杭」とされている生徒たちが、自分の言葉で自分の思いを伝えることや、自分が出る杭になり続けるだけではなくて、他の人に耳を傾けるスキルが身についていることをこの一年間で強く感じましたね。そして、個人の変化だけではなく周囲の人たちが出る杭なクラスメイトのことを「面白いね」と一緒に面白がるような視点を持てるようになったことは、すごく面白いですし、本当にこのゼミやってよかったと思うことです。

飯島先生から先ほど、「居心地が良すぎるんじゃないか」という話があったと思うのですが、私はそれって素晴らしいことだと思っています。自分も居心地が良いし、他のみんなも居心地が良い状態をどうやったら作れるんだろう?ということを去年1年間で自己発信コースの生徒たちはずっと感じていたと思いますし、だからこそ今度はその居心地の良さをきっと他の場所で「創る側」になるんだと思うんです。そういう意味で飛び出してチャレンジをして、クラスメイト以外の同年代や大人と関わる機会は大切だと思うし、自己発信コースの生徒たちが世の中に飛び出していくことで、もっと「こういう場所って居心地が良いんだ!」と気づく人が増えると思います。生徒たちは、本当にゲームチェンジャーだと思うので、思い切って肯定してあげたいし「どんどん飛び出せよ。君たちが創るんだぞ、自己発信コースのような居心地が良い場所を」ということを伝えたいです。

(岩崎)内山さんは生徒に感じた変化はありますか?

(内山)全6回を通して自分の芯にある想いが揉まれて、初回よりも本当にリアルな自分の言葉にどんどんなっていましたし、最後の6回目の発表の中では、いろんなスキルが身について、自分の意志を心から湧き出る素直な言葉で発表していたと感じました。その能力が今もう既にある中で、学年が上がるにつれてどうなっていくのか、とてもワクワクしています。この子たちの変化をこれからも追い続けていきたいし、新しく入ってくる次年度の生徒たちも、違う色を持っていると思うので、その子たちがどう変化していくのかも楽しみですし、このプログラムもどんどん広がっていくと面白い動きが生まれるのではないでしょうか。

あとがき

2022年度からの学習指導要領の改訂により、「探究」と名前のつく科目が新設されるなど「探究学習」の重要性は高まっていますが、実際にどのように運営をすればよいか悩む先生も多いのではないでしょうか。今回のインタビューから出てきた先生たちの言葉からは、生徒の主体性を引き出すためのヒントがたくさん含まれていました。生徒たちとともに悩み寄り添い自らも学びながら進むこと。明確な変化ではなくても、信頼関係が構築された中で出来上がる土台が、「出る杭」を育てる環境に繋がるのかもしれません。

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Interviewer : Sakuya Iwasaki , Honami Uchiyama , Shino Simoyamada

Editor : Kanami Oka

Photographer : Kanae Fukumura

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■次回は「親子インタビュー」を掲載します

■コラボゼミに関するお問い合わせはこちらから

reboltinc@gmail.com

■インタビューにご協力いただいた方

十文字中学・高等学校

一般社団法人 DeruQui

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