女性スポーツ界のアスリートによる未来創造型スポーツクラブ「OPT UNITED」。OPT UNITEDに参画したアスリートたちが思い描く「WAGAMAMAであれる未来」はどんな未来なのか。そして、思い描く未来のために、なくしたい「普通はこうあるべき」はなにか。陸上競技、石塚晴子選手の前編。
陸上競技 / 石塚晴子 プロフィール
1997年生まれ。大阪府出身。主に400m、800m、400mハードルを専門とする陸上競技選手。400mハードルの自己ベストは日本歴代7位・U20日本記録の56秒75、400mの自己ベストは日本学生歴代3位の53秒22。2015年インターハイ女子MVP受賞、2015年北京世界選手権女子4×400mリレーの日本代表。
2017年、大学を退学し実業団に所属。TWOLAPSにて週3~4日練習・その他の日は個人練習を行っている。趣味は絵を描くことと読書。
陸上をやりながら自分が幸せに生きていくにはどうすればいいか
ーー石塚選手は中学生の時に陸上を始められたんですよね。
走ることが得意なわけでもない、絵を描くのが好きな普通の小学生だったんです。でも中学校で陸上部に入部し、中学3年生の時に全国大会に出場することができました。高校記録やU20日本記録を保持しています。大学の時に出した記録が自己ベストなので、以降自己記録は更新できていない状況です。
ーー大学は退学されて、現在は実業団で活動されているということですが…。
はい。実業団に入ってから、自分のやりたい練習をやるための旅がはじまりました。いろんな指導者のもと、いろんな練習をしました。怪我も経験しましたし、自分の昔の価値観と新しい価値観の狭間で少し悩むこともありました。3ヶ月ほど、競技自体をお休みした期間もありました。
「陸上をやりながら自分が幸せに生きていくにはどうすればいいか」って、聞く人が聞いたら鼻で笑うようなことを、大きな疑問として問い続けながら生きてきたのが自分という人間です。
ーーなぜ鼻で笑うような風潮があるのでしょう。幸せになれるわけがない、という前提のようなものがあるのでしょうか。
そんなことを大真面目に考えている人間が、ほかにいないからだと思います。
といっても、私がそんな風に考えるようになったのは最近です。去年、陸上以外のものを全て断ち切って、全てを陸上にかけた時期がありました。もう一度結果を出そうと思ったからです。でも、結果が出なくて、強くなれなかった。苦しくて、お酒に逃げたこともありました…。
そんな時、テレビでオリンピック選手が結果が思うように出せず号泣していて。それを見て、弱くても苦しい、強くなっても苦しいなら、私が陸上をやって幸せになるようなことなんてあるのだろうか?と絶望したんです。
でも、大会運営にも関わるようになって、すごく陸上が楽しい瞬間があって。今年に入ってから自分の陸上をやり通してから陸上を辞めようと思えるようになりました。それは結果が出る出ないではなくて、自分の心と体を信じきった陸上をちゃんと一回やって、その結果を自分なりに見届けてから陸上を辞めよう、ということです。
ーー2019年に3ヶ月ほど競技をお休みされ、その頃の葛藤についてSNSで漫画にして発信されていますよね。
2019年の夏頃に競技を続けるのがしんどくなって、プチ引退をしました。その時に「なぜ休もうと思ったか」を描いたエッセイ漫画がちょっとバズりまして。いろんなコメントもいただきました。
それからは、休むことについてや、高校時代トップにのぼりつめた選手が大学以降消えてしまう問題、自身が経験したハラスメントの問題についても発信してきました。
ーースポーツはこれまで、明るい側面が表に出ることが多かったと思います。そんな中、裏側にあるハラスメントや心と身体の問題を表に出すことって、すごく大変なことだったのではないでしょうか。
例えばオリンピックでメダルを取ればスポットライトは当たるけれど、私にはスポットライトの当たらない部分をあえて言葉にしたいという気持ちがあるんです。苦労を重ねて結果を出したサクセスストーリーはこれまでたくさん語られてきました。だったら言葉にされてこなかったことを言語化したい。
自分の文章を読んだ方から「モヤモヤしていたことが言語化されてすっきりした」というコメントをいただきました。それを聞いて、スポーツ界の暗い部分も言葉にする・表現することを求めている人がいるんだと気づけたんです。
ーー辛い経験だったと思うのでお話しいただける範囲で良いのですが、ハラスメントやご自身の心や身体との向き合い方について、石塚さんのご経験をお教えいただけますか。
自分が経験した大きな出来事は2つありました。
ひとつは進路を制限された経験です。高校進学は自分の意思で決めましたが、大学進学に関しては選択肢がありませんでした。他の大学からの勧誘は、自分に話がくる前に監督が全て断っていましたし、「他の大学にいくとこれ以上記録が伸びなくなる」というようなことを繰り返し言われたりもしました。
高校生の時の自分にとって大事な価値観が「勝つこと」「記録」だったので、最終的にその言葉で進路を決めました。今思えば、大人は、進路を選択させる余地を与えるべきだったのではないかと思います。クラブチームを増やすなど、学業の進路とスポーツ選手のステップアップは別の軸で考えていくべきではないかと。
もうひとつは、コーチから受けた暴力です。詳細は避けますが、それが原因でPTSD(心的外傷後ストレス障害)の診断も受けました。フラッシュバックや胃の不調といった症状が出て、現在も通院しています。
暴力を受けている間は「これは記録を出すまでの我慢」「頑張れば報われる」と思っていました。
でも、両親がすごく心配して悲しんでいるのをみて、こんな風に自分や家族の安全や安心を犠牲にしてまで競技で結果を出すことに価値はない、一番大事なのは自分や家族だって気づけたんです。それが今の自分の価値観の一番大事な部分になっています。
ーー辛い経験にもかかわらず、言葉にしてくださってありがとうございます。
進路のお話がありましたが、高校生くらいまでの時期には「自分で選択できた」経験ってなかなかない気がしています。周囲の大人の言葉を信じてしまうし…。当時、ご自身がどういう環境であれば、もっと自分自身の心が前向きに、正直に、”わがまま”になれたと思いますか。
進路の問題も、ハラスメントの問題も、そもそも選手側が「自分たちにとって競技ってなんなの?」というスタンスがちゃんとないと、問題に気づくことさえできないと思います。まずは選手自身がどういうスタンスで自分の人生を生きて、どういうふうに競技に向き合うかを考える必要があります。
また、特に幼少期など身体が未発達の子どもに対して「結果が全て」という価値観で指導するのはよくありません。目先の結果を求めるのではなく、長い目で身体の発育やリスクまで考えることができる人が指導者をやるべきです。
競技の結果が、選手自身の人間としての評価に直結してしまうと、選手の安全は脅かされます。本来スポーツは、自分という人間を成長させる、人生を豊かにするもののはず。まず、自分の人間としての価値は競技の結果に左右されないという揺るぎない安心感をつくる必要があります。指導者はその安心感をつくった上で、専門的な知識を伝えていくのが理想、というか本来の形ではないかな、と。
高校生の私は自分のことが正しいと思っていました。結果が出ているから、私は正しい、私がやってきた練習は正しいって。でも、怪我をして走れなくなった時にその価値観がガラーッと崩れて。私の正しさはいったい何が支えてくれるのだろう、と足元がぐらぐらするような感覚でした。
それまでは「結果が出ていない選手は頑張っていない」「怪我している選手は努力していない」って本気で思っていたんですが、そこで初めて頑張れないってこんなに辛いのかとか、人の気持ちの想像できなかった自分はなんて浅はかなんだと考え方が180度変わりましたね。
指導者と選手の信頼のなさがハラスメントの原因
ーースポーツ界において、なぜハラスメントなどの問題が起こってしまうと考えますか。
ひとつには、指導者自身がかつて体罰を受けながらスポーツをしてきたという経験があると思います。さらに、選手に結果を出してもらうために、競技以外のことをさせたくない、練習させなければいけないという思いもハラスメントに繋がっている気がします。
ここで悲しいのはハラスメントをしなければ選手は練習しない、本気にならないと指導者が思っていることです。無理してでも練習させないとサボるだろう、という信頼のなさが悲しい。
大学生の時、大きな怪我をして腹筋すらできないことがありました。部活に参加しても、マネージャー業の手伝いしかできていなかった時期に、ずっと自分のことを見てきたコーチに「練習しろ」と言われたんです。どうやら私がサボっていると思ったみたいなんですよ。そのコーチがすべきだったのは、練習を強要することではなく、病院に連れて行って適切な治療を受けさせることだったはず。何年間も私のことを指導してきたコーチにそう言われて、こんな大人は信頼できない、と思いました。
このように、指導者と選手の間の信頼関係が築けていないことも、ハラスメントが起こる理由の一つだと思います。自分は幸運にも、家族や周りに恵まれてなんとか助かりましたが、ハラスメントが原因で競技を辞める人はたくさんいます。
ーー指導者は、精神面のケアをどのように行うべきだと考えますか。
選手が多いと、指導者が一人ひとりのケアをするには限界があります。海外では当たり前ですが、メンタルケア専門のコーチを入れるのは有効な手段だと思っています。
人に心から拍手を送る文化を
ーー私はメディアの「残念ながら準優勝」といった表現に違和感を覚えるんですよね。選手自身が悔しいと感じることと、結果をメディアがどう表現するかって別の話だと思っていて。「結果が全てではない」「自分の人間としての価値は競技の結果に左右されない」という揺るぎない安心感は、メディアの報道の仕方が変わることによっても醸成されるのではないでしょうか。
同じ違和感を覚えていますし、自分自身も他の人から勝手に結果を評価された経験があります。とある大会で、自分の現状を知らない人に「まだ思うように走れないんだね」と声をかけられたんです。その人は、私の自己ベストとその時の結果を比較してそう評価したんでしょうけれど、その一言が、私が陸上にかけてきた時間をどれだけ否定しているか気づいていない。そこに至るまでに、どれだけいろんな人に頭を下げて、いろんなトレーニングを試して、どれだけお金をかけてきたか知らずに、私が過去の自分の数字を越えない限り周囲の人からは「から回っている」とか「間違っている」ということにされてしまう。
一方、音楽や絵画などの芸術には、人が何かを表現したものに対して、心から拍手を送る文化があります。私は芸術の世界に触れた時に、陸上という競技に幻滅しました。一生懸命走った選手に対して拍手を送ることすらできないのか、と。
ーーこれからのスポーツ報道のあり方について考えておられることはありますか。
メディアがやるべきことはまず、戦った選手に対して賞賛を送ること、お疲れ様でしたということ。その上で、選手の言葉をきちんと拾って忠実に伝えること。
ーー選手が意図しない形で語られることって、選手にとっても心理的なストレスが大きいですよね。「有名税」だなんて言われることもありますが…。
メディアへの違和感は、高校生の時には全く感じていませんでした。自分が高校生でオリンピックに出場した時は「最強女子高校生」なんて報道もされました。自分の知っているアスリートが「美女アスリート」として取り上げられもしました。かつての自分は、そこになんの違和感も持っていなかったんです。
違和感を持つようになったのは、私自身の変化なんです。自分が取材を受ける中で、自分の伝えたことと違う形で取り上げられてしまったという感覚だったり、取材を受ける前から作りたいものが決まっていて、私はそれに出演しただけですよねっていうメディアの切り取り方も経験して。そんな経験から、自分自身の言葉で伝えた方がいいと思い始めたのがSNSだったんです。
自分のことは自分の言葉で表現しておくことや、表現する術を持っていることは自分の価値観を守るのに役立っているなと感じます。私のメディアへの対処法です。
ーーこれまで心が乱される経験を多くされてきたにも関わらず、これだけご自身をしっかりと見つめられているのってすごいことだと思います。これまでの経験の中で、石塚さんが前を向くのに役に立った、あってよかった、と思うものはありますか。
必要なタイミングで、必要な人に会えたことが大きかったと思います。自分が困った時に、会社の人や周囲の大人が自分を守るために全力で動いてくれたことが、自分の回復にすごく役立ちました。
私がSOSを出した時に、具体的に何かができなくても、「とにかくあなたを守るために動くから」と周りの大人が目の色を変えて動いてくれていたっていうことが、自分を引き上げてくれました。あの時もし、真面目に取り合ってくれなかったり、私自身に非があると言われていたら回復できていなかったと思います。
これは私の持っている運のようなものだと思うんですが、そういう経験をしたから「私の人生はだいたいうまくいくようになっている」という根拠のない自信があるんです。
後編に続く
Text: Fumina Nakazaki
Photography: Miho Aoki